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山口地方裁判所 昭和62年(ワ)209号 判決

原告 砂川ユキ

〈ほか三名〉

右原告四名訴訟代理人弁護士 高井昭美

被告 国

右代表者法務大臣 後藤正夫

右指定代理人 橋本良成

〈ほか三名〉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告砂川ユキに対し金一五〇万円、同砂川初一、同砂川尚文に対し各金六〇万円、同山本和夫に対し金三〇万円及び右各金員に対する昭和六三年一月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右1につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一、二項と同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡砂川義光(以下「訴外義光」という。)は、訴外市原敏男(以下「訴外市原」という。)に対し、昭和五九年四月一八日、三〇〇万円を弁済期昭和六〇年四月一七日、利息年一割五分、遅延損害金年三割の約定で貸し渡した(以下「本件貸金債権」という。)。

2  訴外義光は、右貸付けに際し、当時別紙物件目録記載の土地及び建物(以下「本件不動産」という。)の所有者として登記されていた訴外佐田俊雄(以下「訴外佐田」という。)との間において、本件不動産につき、本件貸金債権を担保するため別紙抵当権目録記載の抵当権(以下「本件抵当権」という。)を設定する旨の契約を締結し、昭和五九年四月二八日、その旨の登記を了した。

3  しかしながら、訴外大谷進(以下「訴外大谷」という。)は、昭和五八年一一月二九日、訴外佐田を被告として、本件不動産は自己の所有であるところ、その知らない間に同人の妻が、訴外佐田に対し、所有権移転登記手続をしたことを請求原因として、山口地方裁判所徳山支部(以下「山口地裁徳山支部」という。)に本件不動産につき所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟を提起し(同裁判所昭和五八年(ワ)第一〇八号事件、以下「前訴」という。)、右訴訟について、訴外佐田の敗訴判決が昭和六一年四月二七日確定した。

4  ところで、登記原因の無効又は取消に因る登記の抹消又は回復の訴えの提起があった場合、右訴えを受理した裁判所は、職権を以て遅滞なく予告登記の嘱託をしなければならないのであるから(不動産登記法三条及び三四条)、前訴を受理した山口地裁徳山支部は、職権により、山口地方法務局徳山支局に対し、遅滞なく本件不動産につき前訴が提起されている旨の予告登記を嘱託しなければならないところ、右裁判所は、訴えを受理して七か月以上経過した昭和五九年七月二五日ころになってようやく右予告登記の嘱託をなし、同日、右登記がなされた(以下「本件予告登記」という。)。

5(一)  訴外義光は、昭和五九年八月一五日に死亡し、その妻原告砂川ユキ、その子原告砂川初一、同砂川尚文及び同山本和夫(但し、非嫡出子)が右訴外義光を相続し、その相続分は原告砂川ユキが二分の一、同砂川初一、同砂川尚文が各五分の一、同山本和夫は一〇分の一である。

(二) 訴外義光は、前訴を受理した山口地裁徳山支部が遅滞なく本件予告登記をしていたならば、訴外佐田との間において、本件抵当権の設定契約を締結することはなく、そして、確実な担保である抵当権を取得しない以上、訴外市原に対し、本件貸付をすることはなかった。そして訴外大谷は、昭和六一年七月一六日、原告らを被告として、山口地裁徳山支部に本件抵当権設定登記抹消登記手続請求訴訟(同裁判所昭和六一年(ワ)第一一七号事件)を提起し、右訴訟について、原告ら敗訴判決が確定したため、原告らは登記簿上も本件抵当権を失うとともに、訴外市原は財産もなく、昭和六〇年ころから所在が不明なため、原告らは、本件貸金債権を回収することが不可能となり、右債権相当額の損害を受けた。

よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法による損害賠償請求権に基づき、原告砂川ユキにつき一五〇万円、同砂川初一、同砂川尚文につき各六〇万円、同山本和夫につき三〇万円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六三年一月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

1  請求原因1の事実は知らない。

2  請求原因2のうち、本件抵当権の設定登記手続がなされていることは認めるが、その余の事実は知らない。

3  請求原因3の事実は認める。

4  請求原因4の事実は認める。

5  請求原因5(一)の事実は知らない。同(二)のうち、その主張の訴訟が提起され、敗訴判決が確定したことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  被告の反論

(一) 予告登記の性質

予告登記は、登記の抹消又は回復登記手続請求訴訟が存在することを当該不動産につき取引をしようとする第三者に警告する機能を有するに過ぎないものであり、登記に公信力のない我国においては、不動産取引をしようとする者は、単に登記簿を信頼するだけではなく、取引の相手方が真の権利者であるかどうかを種々の方法で調査しなければならないところ、予告登記も、当該不動産につき前記のような訴訟が提起され、その請求の理由が登記原因の無効又は取消であることが裁判所に判明したという限られた場合において、裁判所の嘱託によってなされ、その結果、当該不動産の権利関係の調査に対する情報提供のひとつとなるにとどまり、予告登記の有無により当該登記の信頼が左右されるといった制度ではない。したがって、被告が、不動産取引をしようとする私人に対し、予告登記によってその権利、利益を保護する責任を負っているということはできず、予告登記の嘱託につき懈怠があったとしても、右権利、利益を侵害するということはあり得ない。

(二) 相当因果関係の欠如

予告登記嘱託の懈怠と原告らの損害との相当因果関係はない。

すなわち、本件不動産は、本件抵当権設定当時から登記簿上の前所有者である訴外大谷が居住していること及び登記簿上、同人が設定した住宅金融公庫を権利者とする第一順位の抵当権が設定されていることからして、訴外義光は、同人が確実な担保を求めたとするならば、当然に本件不動産の現況や権利関係を調査し、右調査により容易に本件不動産の所有関係に疑問を持ったはずである。

仮に、訴外義光が本件不動産につき訴外大谷が真の所有者であることを知らなかったとしても、原告らの損害は、訴外義光が訴外佐田の言動を軽信したことや本件不動産の調査が不十分であったことによるものであって、予告登記嘱託懈怠と損害との間に相当因果関係はない。

(三) 原告らの損害について

仮に、本件貸金債権が存在し、本件抵当権により右債権が回収される可能性があったとしても、原告らの損害は二二八万八一八六円を上回ることはない。

すなわち、本件不動産については、既に他の抵当権が実行されて競売手続が開始されているところ、その最低売却価格は一二四三万六〇〇〇円であって、数回の入札実施にもかかわらず、買受人がなく、したがって、今後も右最低売却価格を上回る価格で買い受けられる可能性は低く、右売却手続費用は少なくとも一一万六五五四円であり、住宅金融公庫を除いた原告らに優先する権利者の債権額は少なくとも合計一〇〇三万一二六〇円であることからして、右最低売却価格で買い受けられた場合、本件抵当権により、本件貸金債権が回収される額は二二八万八一八六円を上回ることはない。

第三証拠《省略》

理由

一  本件貸金債権及び本件抵当権設定の経緯について

本件不動産につき、本件抵当権設定登記がなされていることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、訴外義光は、農業を営んでいた者であり、本件抵当権設定時七七歳の老人で、昭和五二年ころ、中風で倒れてからは、寝たり起きたりの状態で、右手が不自由なため食事も介護が必要で、字も書けない状態であったが、公共事業の用地買収等で、当時、二〇〇〇万円ほどの余剰資金を有していたこと、訴外義光は訴外佐田及び同大塚某(以下「訴外大塚」という。)と面識があり、右両名が訴外義光方によく出入りしていたこと、訴外義光は、昭和五九年四月一八日、訴外大塚から紹介を受けた訴外市原に対し、三〇〇万円を貸付け(本件貸金債権)、その際、前記佐田及び同市原から、本件不動産は右佐田の所有であるが、現在は借家人が使用しており、その借家人が明け渡したら、右不動産を売却して利息を含め右債務を返済すること及び本件不動産は一五〇〇万円ほどの価値があり、その後も借入額を増額するかもしれない旨の説明を受け、訴外佐田との間において、右佐田の所有名義であった本件不動産につき、本件貸金債権を被担保債権とするものの、その債権額を一一〇〇万円とする本件抵当権設定契約を締結し、昭和五九年四月二八日に右登記手続をしたこと、訴外義光は、右取引にあたって同居している長男である原告砂川初一にも相談していないこと、そして訴外義光は、そのころ、本件不動産の登記簿謄本を取得したが、登記簿上、当時、本件不動産については、本件抵当権に優先する債務者を訴外佐田、抵当権者を訴外馬酔治、極度額一〇〇〇万円の根抵当権が設定され、加えて、本件不動産の内建物については、右馬酔治の抵当権に優先する訴外佐田の本件不動産の前所有者である訴外大谷を債務者、抵当権者を住宅金融公庫、被担保債権額を一一〇万円とする抵当権が設定されていたこと及び訴外佐田及び同市原は、当時、サラリーマン金融等からの借入金の返済に迫られていた者の窮状に乗じて、それらの者が所有する不動産を無断で処分するなどしていたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

二  予告登記について

1  請求原因3及び同4の事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

2  ところで、予告登記は、登記原因の無効または取消による登記の抹消または回復の訴えの提起のあった場合において、このことを第三者に警告するためになされる登記であり、不動産の既存登記に関し右訴えの提起のあったことを公示して善意の第三者を保護するものである。そして、前記抹消または回復の登記手続を求める訴えを受理した受訴裁判所は、訴状を全体的に検討して、予告登記をすべき事案と判断した場合は、職権をもって遅滞なく嘱託することを要すると解される。

3  前記1の争いのない事実によると、訴外大谷は、訴外佐田を被告として、昭和五八年一一月二九日、山口地裁徳山支部に、登記原因の無効を原因として本件不動産につき所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟を提起したのであるから、右訴えを受理した山口地裁徳山支部は、職権をもって遅滞なく本件不動産につき予告登記をすべきであり、遅くとも、訴外義光が本件貸付をし、本件抵当権設定契約を締結した昭和五九年四月ころまでには右予告登記の嘱託を了していなければならなかったと解さざるを得ないところ、右争いのない事実によれば、右徳山支部が本件予告登記を嘱託し、その旨の登記がなされたのは昭和五九年七月二五日であった。

そうすると前記一認定のとおり、訴外義光は本件不動産につき抵当権の設定という取引行為に入ろうとする者であるから、右2の予告登記の趣旨、目的に照らし、その公示により保護されるべき者といわざるをえない。

しかしながら、本件損害賠償が認められるには、裁判所の本件予告登記の嘱託の遅滞と右嘱託の遅滞により、訴外義光が予告登記がなされていない登記簿上の記載を信頼して、本件不動産を担保として本件貸付をなしたことの因果関係が必要であることは当然であるところ、この点に関し、一部これに沿う《証拠省略》は、一般的な推測を述べたにすぎず、前記一認定の訴外義光の年令、健康状態等に照らすとにわかに信用しがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、むしろ、訴外義光は、前記一認定のとおり、訴外佐田及び同市原から、訴外市原に対して本件貸付をしているにもかかわらず、訴外佐田所有名義の本件不動産に抵当権を設定する旨の契約を締結した上で、物上保証人にすぎない右佐田が本件不動産を売却して右債務を返済すること及び本件不動産は訴外佐田の所有名義でありながら、右佐田以外の第三者が占有していることの説明を受けていること、また、本件不動産の登記簿謄本により、本件抵当権設定当時、本件不動産の内建物については、訴外佐田の前所有者である訴外大谷の設定した抵当権が存在することを知っていたこと、さらに訴外佐田らに、本件不動産につき本件抵当権に優先する抵当権が存在し、その被担保債権額あるいは極度額の合計額と本件不動産の評価からして、当然担保力の不足する可能性の高い一一〇〇万円もの債権を被担保債権とする抵当権設定登記を要求されていることを総合すると、訴外義光は、本件貸付及び本件抵当権設定契約を締結するに際し、訴外佐田の所有権につき何らかの疑問を抱き、同訴外人らに問い合わせるなど本件不動産の所有関係について調査すべきであったにもかかわらず、特段の調査をせずに本件貸付及び本件抵当権設定契約を締結したのは、前記一認定のとおり、訴外佐田及び訴外市原を紹介した訴外大塚と面識があり、これらの者が訴外義光方によく出入りし、親交があったこと、そして訴外佐田及び同市原が、金融業等を営み不動産取引に明るく、しかも言葉巧みに不動産を提供させ、これを無断で処分したり、担保として融資を受けたりなどする人物であったことから、これらの者から高利を得れるなどの利益誘導等を受け、その言動を軽信し、本件取引に応じたことに帰する点が極めて大きかったものと考えられる。

4  そうであれば、訴外義光は、本件不動産につき、本件貸付及び抵当権設定契約締結時までに、前記大谷が提起した訴えを受理した山口地裁徳山支部が遅滞なく本件予告登記を嘱託し、その旨の登記がなされていたとしても、前示事実関係の下では訴外佐田及び同市原を信頼して本件貸付及び抵当権設定契約を締結していたものと解するのが相当であって、右登記の嘱託懈怠と本件貸付及び本件抵当権設定契約締結との間、ひいては原告らの主張する損害との間に相当因果関係を認めることはできない。

三  結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官 大西良孝 橋本眞一)

〈以下省略〉

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